Tribute to ジミー・バトラー~第1話”プロローグ”~

※この物語は、ジミーバトラーさんの半生をもとに装飾を加えたフィクションになります。

■プロローグ

現在、NBAのミネソタ・ティンバーウルブズにて活躍しているスタープレイヤーの一人、ジミー・バトラー、その誕生は決して誰もが祝福するような、銀のさじを持つ子供では無かった。

テキサス州のヒューストンに生を受けたジミー。貧しい家に産まれた彼は、生後まもなく父親が幼い彼と母親を置いて、家を出て行った。幼くして、理不尽な理由で母子家庭となったジミーだが、決して母の愛に恵まれていた、というわけではない。
母親もまた、その外見が嫌いだとジミーに言い放ち、家を出て行けと冷たい言葉を浴びせる。ジミーがまだ13歳、中学生の時だと言うのだから、その生い立ちはまさに壮絶の一言に尽きるだろう。
アメリカにはいまだ、根強い差別感情が残っている。黒人の母子家庭というだけでも、その苦労は我々日本人の想像を軽く超えるようなものだが、まだ中学生の少年が母にすら見放されたというのは、公的な保護が必要なレベルと言えるだろう。アメリカというお国柄を考えれば、ギャング団の一員となり、果てはクスリの売人にまで落ちてしまうことも、十分あり得たはずだ。だが、それをせず、現在のスタープレイヤーとしての地位を確立した、彼のサクセスストーリーは、今やアメリカ中の人々の心をわしづかみにしている。

実際、アメリカの黒人やヒスパニックなどの中にも、学者や医者、そして各種の上級国家公務員になる者もある。だが、それはあくまでも「そういった人々もいる」というレベルの、儚いものとなっている。黒人の青年が成功するということは、現在のアメリカであってさえも、ヒップホップ歌手、アメフト選手、野球選手、そしてプロバスケの選手だ。彼らは常に子供達の憧れであり、流行の最先端であり、合法な社会的地位と成功を手にした者となる。
アメリカでは至る所に、それが例えばスラム街のような場所であったとしても、バスケットボールのゴールを散見することができる。ボールと手作りのゴールさえあれば、青空の下のそこはいつでも、バスケットをするコートになる。どんな荒くれた少年も、普段はギャングスタを自称するような少年も、ボールを持ち、コートに入った時だけは、年相応の少年の瞳となる。互いに競い、笑い、そして涙を流す。その中から、将来のヒーローであり、第二、第三のジミー・バトラーが産まれていく。

だが、悲しいことに大半の貧しい黒人の少年達は、そうはなれない。貧しい地域に産まれ、両親に恵まれなかった者達は犯罪者へと身をやつし、大人となった子供達の子供達はまた、犯罪に手を染める悪循環が形成されるのだ。

ジミーの生い立ちから現在を私達が見るとき、そこにあるのはどう見ても絶望であり、まるで創作された筋書きのある脚本にも似た、そんなサクセスストーリーを連想させる。それこそ、ハリウッドの脚本家が書いたような立身出世の物語。そのドラマティックな生涯だからこそ、ジミー・バトラーはコートでひときわ輝いて見えると言えるだろう。彼は幼い頃から孤独を背負い、孤独と戦い続けた。その幼い背中に背負わせるには、あまりにも過酷すぎる現実が、彼を一流の選手へと導いたことは、想像に難くない。

余談ではあるが、アメリカでは本当に今も黒人差別が解消されてはいない。かつては同じバスに乗ることすらもはばかられ、黒人用の席と、白人用の席が分けられていた時代がある。黒人が入ってはいけない店や地域があり、居住する場所すら制限されていた。それらは全て、南北戦争以前の話ではなく、つい数十年前の、20世紀にまで存在していたことなのだ。そんな時代がすぐに終わるはずもなく、人々の心には、今もまだ隠れた差別感情と、そうした社会が根付いている。幼い彼に与えられる社会からの言葉はどれほど冷たく、また、どれほど厳しかっただろうか。理由も無く犯罪などの責任を追及され、時には大切なバスケットボールや、シューズを取り上げられるようなこともあったに違いない。アメリカはチャンスの国であり、自由と平等、星条旗の下に誰もがそれを享受できる社会であると表向きは言われているが、実際はこうした差別が残る、旧態依然とした国であることを、私達は見逃してはならない。また、そんな幼く貧しい少年時代を過ごしたジミーは、栄養状態もおそらく芳しいものではなかっただろう。ホームレスも同然の生活を強いられ、母の愛を受けられず、そんな中で自分の生きる道を模索した。その果てにあったものがバスケットボールだったのだ。

ここまで書いていると、ジミー・バトラーだけが家庭に恵まれず、貧しい家の出身としてNBAのスターになった希有な例のように思われる方も多いだろうが、実はNBAにはそうした不幸な家庭や生い立ちを持つスター選手は、決して少なくはない。中には親が麻薬中毒だったり、犯罪をして逮捕され、収監された者もいる。だが、彼らはこうした社会的な逆境を乗り越え、両親の愛を受けられない、経済的な厳しさというハンデを乗り越えて、一途にバスケットボールに打ち込み、現在の地位を獲得している。そのハングリーな精神と、そこから生み出された強靱な肉体と精神の持ち主が、互いの才能、そしてボールへの情熱をぶつけ合う。だからこそNBAは世界で最も楽しく、そして美しいスポーツの一つとなったのだ。
バスケットボールのコートの中では、白人や黒人、アジア人やヒスパニックといった肌の色や髪の色などは、極めて小さな問題になる。いや、存在しないと言っていい。その代わり、全てを決めるのは己の腕一本であり、いかにしてチームとして動き、勝利を掴むかということになってくる。

スラムのような貧民街で育ち、身勝手に、好き勝手に生きてきたような黒人の少年では、こうしたチームプレイをすることはできない。常に周囲に目を配り、チームメイトを心から信頼することで、初めて勝利の女神は微笑むのだ。肉体を鍛えただけではなく、そうした精神も含めた一流の者達、その中でもさらに選りすぐりのエリートとなった者達だけが、NBAのコートの中でプレイし、人々の喝采を浴びることが許されるのだ。
かつて父に捨てられ、母の愛を受けずに育ったジミー。そんな彼が今、世界中が注目するコートの中で輝いているのは、そうした誰よりも辛い過去と、それをはねのけ、間違った道を歩まなかったことは、後進の若者達に強いメッセージとして伝わっているに違いない。そして、現在もその生い立ちに苦しみ、差別と戦いながら悶々と日々を過ごしている黒人の少年達に、抱えきれないほどの希望を与えている。
人はどれほど辛く、あり得ない境遇にあっても、諦めない心と、道を外れずにまっすぐ進むことで、自分のようになれるかも知れない。彼自身がこうした未来のプレーヤーのお手本となり、NBAを動かしていることは、全てのバスケを愛する人々の胸に、勇気と誇りと感動を与え続けている。何があっても諦めない心の強さ。彼の中にある武士道にも似た熱き心を、我々もまた見習うべきではないだろうか。

だが、もちろんジミーについて語るべきことは、これだけではない。彼の少年時代は長く、我々が”学ぶもの”・”こと”についてはあまりに多岐に渡ると言えるので、今から1つづつ綴っていこうと思う。。。

第2話に続く….

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です