Tribute to ジミー・バトラー~第2話”生い立ち”~

■ジミーの生い立ち

前回、我々はジミー・バトラーのその壮絶な人生の片鱗に触れたが、彼が自身の半生を公にしたのはドラフト全体30位でシカゴブルズに入団する前だったとされている。それ以前のトムボール高校時代やマーケット大学時代にどっぷりとバスケに浸かった頃には、誰もがジミーの捨て子の過去に気付くことはなかった。
ジミーは経済力、知識、労働力──そのどれをも持たなかったまま母親に捨てられ、家族全員を失った。そんな彼が生き残った少年時代には、やはり現代の豊かな日本で暮らす我々にも生きるヒントが隠されていた。
13歳のジミーを自身に置き換えて想像してほしい。当然スマートフォンを持っていないから、有能なアプリで生活をサポートしてもらえる訳でもない。路上を少年が浮浪していたとしても警察や施設の人間が保護してくれる訳でもない。ロシアにストリートチルドレンという、子供のホームレスを指す言葉が存在する通り、どの国においても他人の子供を養える経済力は皆無に等しい。ジミーは本当の意味で全てを失っていた。
そんなジミー・バトラーだが、友人は存在していた。彼の少年時代は友人の家を転々としながら過ごすことで、生きるという道を手繰り寄せてきた。さすがに居候の期間が長くなりすぎると、別の友人の家に居候をしてを繰り返してきた。
13歳のジミーがこうした発想をしただけでも中々逞しいものを感じ取れるが、それと同時にいくら友人とはいえ彼を自宅に迎え入れた友人の度量の深さも素晴らしいものがある。ルームシェアと違い家賃の折半がある訳でもなく、単純な人情での行動なのだから余計に。これもまた、天がジミーを生かしたといえよう。両親に捨てられているのだから、強運という言葉を使うにはいささか躊躇うが、彼の人生にはそうした運の強さを感じずにはいられない。

こうした壮絶な境遇の中から、強運を掴み、サクセスストーリーを成立させたNBA選手はジミー・バトラー以外にも多数の有名選手が存在する。
まずはNBAのファンでなくても名前は聞いたことがあるだろう、デニス・ロッドマンだ。彼はあの人気バスケ漫画『SLAM DUNK』の主人公、桜木花道のモデルとなった元祖リバウンド王としても有名。ジミー・バトラーと同じく幼少時代は貧乏な環境の中で暮らしてきたデニス。テキサス州のスラム街出身で、かつてはホームレス経験もあり、万引きに明け暮れていたこともあるという。現在に至るまでも飲酒運転で逮捕されたり、常識に囚われない業界外での活動が目立ったりと活動の多い人間だ。そんなデニスは最初からバスケに才能を感じる人間ではなかったらしい。バスケの天性の才能ではなく、天性の強運によってジミーと同じく成り上がりでサクセスストーリーを手にしている。
こうした人々の成功を目の当たりにすると、現在の境遇は未来のための試練であると思えてくるだろう。ジミー・バトラーとデニス・ロッドマンの壮絶な過去からはそれが学べるのだ。彼は諦めなかったがゆえに成功を掴んだ。

NBAの中には、まだまだ成り上がりの選手が存在する。
それは業界のスーパースターであるレブロン・ジェームズだ。高校時代は全米で名を轟かせたり、シーズンMVPも幾度と獲得したり、栄光に愛された男は16歳の頃、母親がシングルマザーとなったことをキッカケに貧困街での暮らしを余技なくされ、毎日を銃声などの耳にして生死の境を彷徨う暮らしをしていたという。彼もまたどん底で闇と見つめ合いながら今を生きるだけが精一杯な暮らしをして、高校時代に上がってから栄光の片鱗に触れた。レブロンの場合、特筆すべきは最大の親孝行と言えよう。ジミーには両親がいなかったが、レブロンには母親がいた。辛酸をなめる境遇の中でも彼はバスケと向き合い、今でこそ最強の名に相応しい活躍をして、故郷に錦を飾った成功者。

紹介したデニス・ロッドマン、レブロン・ジェームズの他にも、アレン・アイバーソン、ジョン・ウォールもまた、形は違えど壮絶な過去を経験して現在に至る。
成功者の裏には、アメリカがバスケと向き合える環境が日本と異なる点も挙げられるだろう。洋画で多々映される街並みで気付いた方もいるだろうが、アメリカはバスケットボールに集中できる環境が充実している。日本のように公園や体育館だけでない、家のガレージ前、教会などにもリングが備わっている。律儀にコートを描く必要はない。彼らはボールとリングさえあれば、毎日バスケに浸かることが許された。これはアメリカならではの特色なのかもしれないが、アメリカは基本的に大人であっても土日には自宅にいるのが当たり前。その大人達がこぞってバスケを楽しんでいる姿を子供達が見様見真似で練習し、上達していく。まったく面識のない大人達に子供が交じって、コーチをしてもらう姿も多々見受けられるという。日本と違い、目上の人に対する謙遜や礼儀などをいい意味で背負いすぎない国だからこその環境だろう。
また、アメリカの高校に受験がないこともあり、勉強に明け暮れる日々を全員が過ごすことはない。学を持たずとも一級品の戦略を立てて戦うNBA選手もいる。ジミー・バトラーやレブロン・ジェームズなど、貧しい環境で育ちながらもバスケットボールに導かれて成功を手にする裏には、そうした環境の良さもあるのかもしれない。
余談ではあるが、アメリカはバンド関連の成功者も多い。その理由の一つにバスケのリングと同じように、手軽に練習に至れるスタジオが存在する点と、ライブチケットの安さによる簡単に音楽を楽しめる点だ。国のスケール上、違いがあって致し方ないが、日本もこうしたアメリカの気前の良さを見習えば将来ビッグスターが多く存在する世の中になるかもしれない。

ジミー・バトラーは小学6年生まではフットボールに夢中で、バスケには興味がなかった。途中からバスケに情熱を注ぎ、徐々に頭角を見せてきた姿を見るや、たしかにアメリカの貧困は目を背けたくなる現状だが、貧困から成り上がるための環境があったということだ。もちろんジミーが中途半端に生きていれば、いくら身体能力が高くても現在には至れない。しかし、彼には父親に捨てられ、母親には父に顔が似ているという理由だけで家を追い出され、その中で生き残ってきた強い精神力があった。多くを語らない彼がその当時、どんな心境で現実と向き合ってきたのかは彼のみぞ知る事実。が、犯罪に手を染めることなく、友人らからも愛されていたからこそ、現在があるように思える。
貧乏であることにいいことなど一つもないが、ジミー・バトラーの成功の中には、苦しみを体験したからこそできた負けん気の強さや打たれ強さが育った要因が見えた。この先、ジミーはなにがあっても心まで折られることはないと我々は信じられる気がする。それこそが、NBAという競争世界で生き残ることを可能とした、貧乏な過去に培ってきた彼のメンタルの強さでもある。
ジミー・バトラーのことを知れば知るほど、我々は成功の糸口を掴めそうな気がしてならない。彼の存在はNBAや貧困層だけでない、世界中の誰もがその姿に生きる希望を見出せる光なのだから。
次稿もまた、ジミー・バトラーの半生を追求しよう。彼の人生から成功を学び、どん底の現在を向き合う術を掴んでくれれば幸いである。

第3話に続く….

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