Tribute to ジミー・バトラー~第5話”成長期2”~

前回の〆で、大きな人生の岐路に立ったと言ったのは、もちろん進学のことだ。彼は結果として、高校を卒業後も進学がかなった。だが、進学した先は通常の大学ではなく、短期大学だったのだ。短大に通うということは、もちろんアメリカに於いても日本に於いても、特に男性であれば決して良い印象を持たれることは無い。プロのバスケットボールのスカウト達も、短期大学には注目をしていない。そして、チームプレイが求められるバスケットボールような競技では、これは大きなハンデ、スタートからつまづいたと言わざるを得ない。
スポーツに学歴は関係ないとは言っても、そのスポーツをするクラブについてという問題がつきまとう。いくら高校で大活躍をしたジミーバトラーとは言え、これはプロという輝かしい道に向かって一歩前進ではなく、後退したと言っていい。そもそも、ほぼ親の無い子供として育ち、友人の家をたらい回し、もとい、そこにしか行き場がない故に、そもそも小学生時代まではフットボールに入れあげていたことは、以前にも述べた通りである。そのせいで、彼はバスケットボールプレーヤーとして、一時的に周回遅れの状態におちいってしまったのだ。

■バスケットボールに出会って変わっていく人生

もしジミーに通常の家庭があり、ごく普通に学校に通っていたとしたら、バスケットボールに興味を持ち、もっと早くにその才能が花開いていただろうか? 彼自身は幼い頃の壮絶な人生に加え、家を転々としていた過去がある。当然だが、家族以外の家に居候となるたびに、彼がいくら人格的に魅力があったとしても、最終的に彼を迎え入れたレスリーの家族が例外的なものだったのであって、基本的には相当に肩身の狭い思いを強いられたであろうことは、想像に難くない。
そのような環境の中であれば、フットボールであれ、バスケットボールであれ、そうしたものを楽しむことは、楽しむというよりは逃避に近いものとなっただろう。その状況では、技術の向上などは、おおよそ望むべくも無かったはずだ。また、そうした友達の家を転々とする生活では、食生活についても同じように貧しく、栄養状態は良くなかったはずだ。年頃の子供達は同様にライバルとなり、一般家庭で満ち足りた栄養を得た者達と競争となれば、勝負にならないだろうこともまた、容易に想像がつくことだろう。
バスケットボールはプレイしたことがある諸氏ならおわかりになるだろうが、体格が相当にものを言う。体重は軽くてもいいが、身長については高い方がいい。成長期に於いて、食事や栄養バランスに偏りがあるというのは、バスケット選手を目指す若者にとっては致命傷ともなり得る。だが、バスケの神はジミーを見放さなかった。結果的に、彼は2メートルを超える身長を得て、現在に至る名バスケットボール選手への栄光の一歩をこのときから既に手に入れていた。いや、祝福を受けていたと言ってもいいだろう。
一方で、ジミーについて、これほどの成績と、人の家を転々としていたという生活から、彼にはバスケットボールとはまた別の、天性の人当たりの良さがあったことも、ここは想像に難くないはずだ。しかし、人当たりの良さとは裏腹に、彼自身はどちらかと言えば内気で人見知りをする少年だったと言われている。常に自分を表現し、チャンスをつかみ取ることが求められるアメリカの社会だが、それは決して唯我独尊でわがままな者が求められるわけではない。逆に言えば、こうした友人の家を渡り歩く生活を送った彼だからこそ、天性の人当たりの良さが培われたとも言えるのではないだろうか。

既に述べているが、アメリカでは21世紀となった今でもなお、根強い人種差別が根付いている。貧しい黒人の少年だったジミーにとっては、逆風に次ぐ逆風で、おおよその人々が想像する、間違った悪い黒人のイメージそのままに育ってしまったとしても、それは予想できたことだった。しかし、ジミーはそうならなかった。
日本に於いてもそうだが、家庭環境に問題がある子供は、どうしてもその後、いわゆる非行に走ってしまう傾向がある。子に責任が無いと言えばその通りだが、親の愛を受けられず、世間から隔絶されたような社会、その拒絶感にさいなまれた結果、性格などに歪みが生じてしまうことは、悲しきかな現在の日米を問わず、どのような国でも問題となっている。ジミーは結果として高校を卒業し、短大でめまぐるしい成績を収めた結果、別の名門大学などにスカウトを請け、現在のようなめざましい活躍を見せているが、逆に言えばこのように考えることもできるのではないだろうか。数多くの家を巡り、様々な家庭で育つことを余儀なくされたジミーは、気を遣い、それでも非行に走らず、バスケットボールと出会い、バスケットボールを愛し、愛され、現在の地位を確立するに至るハングリー精神と、精神と肉体の両面に渡るタフネスを手に入れた。


確かに恵まれた環境に育てば、心は素直に育ち、肉体についても同様に恵まれることで、バスケットボールのみならず、それは一つの可能性を広げるチケットとなるはずだ。しかし、草木や野菜、果物などは、逆に多少過酷な環境を与えることによって、よりたくましく、美しく、甘く、うまみのあるものに育つ。これは科学的にも立証されていることだ。まさにジミーというバスケットボールの逸材は、神がそうなるべく仕向けた、とも言えるような気がするのは私だけではないはず。
だが、昨今ではかなり見直されているものの、厳しく辛く当たる、ことによっては体罰などが強い選手を育てるという論拠として、本稿を使われることだけはあってはならない。スポーツとは楽しく、見る者もする者も、共に高めあい、学び、一体となるためのものだ。一昔前は根性論で、厳しい練習と、地獄のような叱責と罵倒、そして体罰の末に名選手が育つという間違った信仰がありました。ジミーバトラーという選手は、まさにこんな昔の間違った信仰を裏打ちするかのように、厳しい環境で育っている。しかし、ジミーは自身の恵まれたタフネス、その精神と肉体によって現在の地位がありますが、たまたまそれが彼を育てたのか、或いは彼が恵まれた家庭にあれば、ひょっとすればもっと早く、その天賦の才は開花していたかも知れない。それを、ジミー・バトラーはこれほどの名選手になったのは、こうした過酷な環境が彼を育てた、だから~というのは、これは本当にあってはならないことである。ジミー・バトラーのコラムから脱線するようで恐縮だが、ここは重ねて申し上げておくこととする。

さて、話を本題に戻そう。様々な紆余曲折はあれど、結果としてジミー・バトラーはプロバスケットプレーヤーとして活躍しますが、ここで少し振り返って、駆け足気味になってしまったジミー・バトラーの高校時代について、スポットを当ててみようと思う。彼が名バスケ選手となることができた土壌は、確実にこの時代にもある。決して看過することはできない。話が前後するようで申し訳ないが、読者諸氏にはもう少しおつきあいいただければ幸いだ。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です