Tribute to ジミー・バトラー~第13話”NBA選手へ”part 3~

さて、前回までの記事で語ったように、順調に成長を続けているジミー・バトラーだが、もちろん最初から完成した選手だったわけではない、魔の三年目と言うことばを前回締めくくりとして使ったが、そもそも彼にとって、シカゴ・ブルズという名門のNBAチームに所属したこと自体が、そもそもの異例の大出世、大学からのプロリーグという順調なルートだが、そもそもブルズというチームが、果たしてどんなプロバスケチームなのかということについて、ここで詳細に語っておかねばなるまい。

■シカゴ・ブルズについて

シカゴ・ブルズは名前が表す通り、アメリカのイリノイ州の州都、シカゴに本拠地を置くNBAのバスケットボール、チームだ。バスケに詳しい読者諸氏からすれば、何を今さらという話かも知れないが、ここは初心者、或いは最近になってNBAとバスケットボール興味を持った、それこそバスケファンのルーキーたちへの道しるべであり、一里塚となるよう、初心に返る意味でもしばしおつきあい頂ければと思う。
そもそもだが、今ではシカゴ・ブルズという名前は、切っても切り離せないほど、ひとつながりの固有名詞のように語られているが、かつてはスタッグズ、バッカーズ(ゼファーズ)というプロバスケチームがシカゴには存在していた。過去形となっているのは、産まれてから数年程度で消滅、或いは拠点を移してしまったからである。余談ではあるが、バッカーズ(ゼファーズ)は現在のワシントンウィザーズであるということを考えると、シカゴはまるでバスケの女神に微笑まれたかのような聖地と言えるだろう。と、この話はブルズのことなので、色々とウィザーズとなるに至るまでの(バッカーズ)ゼファーズには物語があるが、それはまたの機会とさせていただく。


二度バスケチームを失ったシカゴだったが、1966年にシカゴ・ブルズが誕生する。だが、最初から名門ブルズの名にふさわしいものではなく、スタートしたこの時は、ありふれたプロバスケチームの一つという具合だった。徐々にボブ・ラブやジェリー・スローンと言った名選手を擁するようになったが、本格的にブルズがその名を轟かせるようになったのは、バスケに詳しくなくともその名を一度ならず聞いたことがあるであろう、マイケル・ジョーダン選手の登場である。今やバスケの神とすら言えるような存在となったマイケル・ジョーダンの登場は、まさにジョーダン時代とすら呼べるものと言えるだろう。だが、ジョーダン引退後、しばらくはそれなり、という時代を超えて、ジミーの少し前にブルズのスタープレーヤーとなったデリック・ローズの時代を迎える。


ジョーダンの時代ほどではないが、デリック・ローズもまたローズの時代と言える、一時代を築いたというのは過言ではないだろう。ジョアキム・ノアもこの時活躍はしているが、バスケファン以外も含めた知名度では、やはりローズに軍配が上がると思われる。そして、いよいよ我らがジミー・バトラーがこのブルズに入団することとなる。もちろん、ジミーがブルズに入りたいと思っていた可能性は高いとは思うが、まだ無名のプレーヤーだった。先の記事でも述べたが、当時のヘッドコーチ、シボドーはルーキーをあまり起用しないということもあった上に、ドラフトで下位、ほぼぎりぎりのチーム入りを果たしたジミーに注目していた人物は、当時は皆無だったと思われる。NBAはキラキラとした世界ではなく、ギラギラとした世界だ。金と名誉とアメリカンドリームを求め、全米からバスケットボールの天才と呼ばれた若手のアマチュア選手達が集う。その中でも、名門中の名門であるブルズともなれば、その競争倍率、同じルーキーでも上位指名された選手との差はあまりにも厚い。当然、注目は上位の人間にあつまり、ジミーにはそれほど注がれなかったことは想像に難くない。そして、それは私や読者諸氏ですらも想像ができることであれば、ジミーが予想できないはずがないのだ。それでも、彼はNBAの名門、シカゴ・ブルズに入った。大学ではまさに一流のスタープレーヤーとして名を馳せたジミーも、ブルズに入団すれば、ルーキーであり、しかも下っ端という立場になる。それでも憧れとチャンスをジミーは欲し、NBAの世界へと飛び込んだ。やはりジョーダンやデリックのような、バスケの歴史と時代を築いた名門に対し、並々ならぬ情熱があったと思われる。どのチームでももちろん、ジミーの才能は開花し、ジョーダンやデリックのような時代を築いたことだろう。だが、ブルズという名門の中の名門に身を置き、そこで自分を試したいという思いがあったことだろう。最初から最高峰で自分を試す。困難と逆境のさなかで常に人生を切り開き、成長し続けてきたジミーだからこそ、ブルズでベンチウォーマーからスタートをするというのは、ある意味彼を育てるのに最適の環境だった、というのは私の考えすぎだろうか。しかし、奇しくも運命はジミーにそうした道を与えた。そして、ジミーはその運命を受け入れ、むしろ楽しむかのようにブルズでプレイをして見せたのだ。長年にわたりブルズを見守っている熱心なファン、そしてライトな観客達でさえも、新しい時代の到来、その息吹を、最初はただ胸騒ぎを感じるだけだったのが、やがて確信へと変わったに違いない。ジョーダン、デリックに続く、ジミー・バトラーの時代の到来を。


時代というのは、いつもその熱狂と頂点のさなかにあって、初めてあの時時代が始まったのだと、振り返って感じるものだ。そして、過ぎ去ったからこそ、冷静にその時代の始まり、今に至るまでを振り返り、分析し、そして言葉にすることができる。
一連の記事から皆様にも既にご理解いただいていると思うが、私はまさに、ジミー・バトラーという時代を、読者の皆様と共に整理していければと考えている。偉大なるプロバスケットプレーヤー、NBAの歴史に新たな名前を刻んだ、スポーツ界の巨人。言葉を重ねればきりがなく、いまだにジミー・バトラーをうまく、たった一言で表すということは難しい。ただ、素晴らしいプレーヤーだと言うだけで済ませるには、あまりにももったいないのだ。既に引退してしまった偉大なる選手とは違い、ジミー・バトラーはこの記事を書いている今もまだ、引退をしておらず、現役でコートの上に立ち続けているのだ。そう、伝説はいまだ終わらず、現在進行形で時と共に新たなページを開こうとしている。後日の記事で改めて書くことにはなるが、ジミー・バトラーは既にブルズを離れ、現時点でではミネソタ・ティンバーウルブズにその身を置いている。だが、それまでの数々の伝説を築いてきたブルズと、ブルズにおけるプレーを語らずして、ジミーの今を語ることなど、あってはならない。ますます目が話せなくなっていくNBAとジミー・バトラーについてだが、もうしばらく、ブルズ時代の彼について語ることをお許し頂きたい。それは、ただの数字や記録の羅列ではなく、もっと生々しい、そしてもっと真に迫ったジミーについて、読者の皆様と共に語り、その中で新たな発見や、見落としていた果実を拾い上げ、分かち合いたいのだ。


いよいよ始まるブルズでの詳細なプレーと、彼の歩んできた軌跡について、次回はより深く掘り下げて行きたいと思う。どうか、読者の皆様にもぜひおつきあいいただければ、これ幸いなことである。

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