Tribute to ジミー・バトラー~最終話”まとめ”~

■ジミーバトラーまとめ

これまでジミー・バトラーの功績や歴史について、様々なことを明記してきたが、彼の成功体験は規模の大きささえあるものの、我々にも一寸の希望の光を灯すようなものであった。幼少時代、両親が離婚してジミーの生活は周囲の家庭にあるような父と母に囲まれて健やかに育つという未来を阻まれた。その上、唯一の親である母からは13歳の頃に「顔が気に食わない」という実母とは思えない言葉を吐き捨てられた挙げ句、家を追い出されている。
海外にはストリートチルドレンという言葉が存在するが、その立場からの成り上がりは非常に夢を与えてくれた。ただ、美談として我々はジミーが成功者の鑑だといえるが、当時の彼はいったいどんな気持ちで家を追い出され、どうやって友人の家を転々としようとしたのか。また、追い出された初日はどうやって1日を過ごしたのか。現代で最先端のテクノロジーの傘の下で生きる我々には、想像にも及ばない壮絶な事実があったに違いない。多くを語らないジミー・バトラーの過去は本人のみぞ知ることばかり。
だが、限られた情報源の中でも我々はジミーから得られるものがある。過去の記事ではそれを記載してきたが、読者の皆さんにはどんな沈鬱な未来が訪れたとしても、中学生ぐらいの年頃の少年だったジミーが一文無しながらこうして這い上がってきたのだ、自分に希望を持っていただきたい。
さて、今回はジミー・バトラーについて最後の記事となるので、彼についてのおさらいをしていこうと思う。選手時代のことを記載すると、そのボリュームは膨大になってしまうだろう。皆さんが人生の教訓の一部にできるようにと、過去にだけ照準を定めさせていただければ幸いだ。

先程記載した通り、ジミー・バトラーは言わばホームレスだった。語弊を招かぬよう言うが、ホームレスだった時期は短く、基本的には友人宅を転々として生活の場を移している。なぜ友人の家を転々としたのか、それは長居するとその友人に迷惑がかかると判断していたからだ。自分が困窮の場に追いやられているにもかかわらず、ジミーは人のことを気遣う優しさを持っていた。いつの世も善を持つ人間がバカを見てしまう、ジミーのこの話に対して世界はやはり平等ではないと窺える。日本人でもホームレスの存在はよく見ているはずだ。アメリカも日本も生活保護を受けられる。国によっては生活保護を受けられないところもあるが、ジミーの場合は同じホームレスでも日本で言うところの同じ立場の人々とは年齢が大きく異なる。中学生のジミーにはそんな生活保護が無縁だったのだろう。国の保護を得ることなく彼が今日に至るまで、NBAプレイヤーになれたのはひとえに人との巡り合わせに優れているからだ。我々が同じように友人の家を転々と過ごそうとしても限度がある。ジミーにそれができたのは、彼の人となりのおかげかもしれない。ここで学ぶべきことは、人付き合いの重要性だろう。人は一人では生きられない。金銭を得るためにはどんな仕事をしていても確実に人との縁が欠かせない。コミュニケーション能力を一切使わない仕事はない。だから、ジミーのように信頼される人付き合いを忘れてはいけない。子供の頃のジミーからもそんなことが学べるのである。

ジミーは友人の家を転々として過ごし、数年後にはトムボール高校に入学することができた。それまでにプレイしていたスポーツはフットボール。どちらかといえばNBA選手とはあまり関係ない人生を歩んでいた。アメリカの国柄もあり、高校になると部活は日本のように一つに拘ることなく、季節に応じて様々なスポーツを楽しめる。日本では卓球の選手やフィギュアスケートの選手が幼少期からそのスポーツをプレイしていることはあるが、アメリカの有名スポーツ選手はジミーのように高校からスポーツを始めた選手も少なくはない。
高校に入学後、ジミーはバスケットボールをプレイするようになった。これといって有名大学から引く手あまただった訳ではないが、チーム随一の優秀な成績を残した。また、高校最後の年にジミーにとって欠かせない友人との出会いがある。彼の名前はジョーダン・レスリー。ジミーはレスリーとスリーポイントで対決をし、勝利を手繰り寄せた。のちにレスリーはジミーの家庭事情を知り、バスケを通じて友達となった彼は家族とともに家庭へ迎え入れてくれた。友人を転々としていたジミーだったが、これよりレスリー家の世話になるのだった。NBA選手になれたこともあるが、ジミーには天性の運の強さがある。どんな天才も実力だけで成り上がった訳ではない。アーティストに置き換えるとすれば、歌が上手いから絶対に成功する保証はない。そこに運気のよさが加わるから成功する。アーティストを目指す人は自分より下手なプロを見て「なんでコイツが自分より……」と批難する気持ちにもなるだろう。だが、成功者には総じて運気の良さがある。両親から見放された時点で、ジミーが本当の幸せなのかは不明瞭だが結果としてNBA選手になり、大金を稼ぐ選手となったのだからそれはプラスなのだろう。もっとも、決してやさぐれずに腐らずに誰も恨まなかった彼の心の綺麗さが招いた幸運とも言えるかもしれない。こういう心持ちは参考にしたい限りだ。マイナスオーラを出すことになんのメリットもないのだから。

トムボール高校の卒業を控えたジミーは、タイラー短期大学に進学を決める。キャンパスの中でもバスケは続けていたジミー。その後、大学1年目でめざましい活躍をした彼のもとに、有名大学からの推薦が届いた。ジミーはレスリー家の言葉を聞いて、将来が安定することを理由にマーケット大学を選択。
マーケット大に入った当初、彼は控えでのスタートとなった。大学のバスケは、NACC男子バスケットボールトーナメントと呼ばれる、NBAに劣らない人気を誇る出場を賭けて盛り上がる。街全体で大学バスケチームの勝利をお祝いするほど活気に溢れたイベントへマーケット大は出場を多く決めた。ジミーはその出場に、何度も貢献してみせた。得点力もさることながら、彼の持ち味はリバウンド力だった。201センチという高身長はリバウンドにぴったりだった。その実績がのちにNBAのスカウトに評価され、のつにシカゴ・ブルズに全体30位で指名されるのであった。
ジミー・バトラーのサクセスストーリーはこれからもまだ続くだろう。だが、我々はジミーの過去の苦しみを知ったことで、ジミーの背中を真摯に応援することができる。彼は家を放り出されてからNBA選手になるまでの約8年の歳月の中で、たくさんの人生観を教えてくれた。苦境に立たされて精神が荒れ、薬漬けになったアーティストや心に闇を抱える人がいる。ジミーの心の中は覗けないが、彼の歩いてきた道は外観こそが先の見えない暗闇だ。しかし、彼自身の生き様に未来を不安に思わない強さがあった。13歳という年齢だ、幼いとはいえある程度の選別ができた年頃。そんなジミーが見せた這い上がりを決して無駄なものにしてはならない。なぜなら、それは我々の生活に活かせるからである。ジミーの生い立ちからはそんなことが学べた。

以上でジミー・バトラーについての記述を終了することにしよう。いかがだっただろうか? 最後ということもあり、今回は皆さんに思い出してもらう名目で過去の記載を掘り返してみた。
今後もジミー・バトラーの活躍に刮目していただければ幸いだ。そして、辛い時は彼の生い立ちを脳裏に描き、少年時代のジミーのようにどん底からでも這い上がれること思い出していただきたい。そうすればどんな苦境にだって立ち向かえることだろう。
それではまた、どこかでお会いできることを心から願おう。ジミー・バトラーと読了いただいた皆さんの活躍に期待している。

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